ぼくらは怪異を目の当たりにしたとき走り出さずにはいられないんだ、たとえそれがバカげたサメの幽霊であっても。

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Image: いらすとや

こどもの頃、よく遊びに行っていた神社の角に口裂け女が現れた。正確には、現れたというウワサを聞いた。もちろん、目撃した当人が誰なのかは永遠に分からない、その不確かな、でも恐怖のどん底に突き落とされた事件が起きたとき、いてもたってもいられずに、ぼくたちはそれを解明すべく、放課後の街に飛び出したのだ。

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だから『ゴースト・シャーク』の主人公である高校生のキッズたちが、教室に街に出没しては殺戮を繰り広げるサメの幽霊を目の当たりにしたとき、闇雲に走り出す気持ちは痛いほどわかる。いや、この場合は彼らの教室にヤツが現れたのだから、バリバリ当事者なのだ。そりゃ目的もなく走り出すのも当然である。

なにしろゴースト・シャークはちょっとでも水があれば、そこに現れるのだ。プールはもちろん、水溜りだろうがバケツの水だろうが、水は水とばかりに嬉々として姿を現す。それどころか、グラスの水や冷水機の水にさえ出てくるのだ。海水か淡水かなんてお構いなし。この怪異の最中にあっては、おちおち水も飲めないのがツラい。

しかもヤツは怒り狂っていて見境がない。確かに、心ない人間の手によって非道な最期を遂げたサメではある。ヒトを呪いたくもなろうが、幽霊としてはそこまでやるか、というくらいの狂乱っぷり。もちろん、そこにはとあるプリミティブな因縁がある。そしてそのカギを握るのは、粗暴でキタナイ身なりの世捨て人のようなオッさん。当然酒浸りだ。

走り出したキッズたちは、オッさんとともに事件解決へと物語を走らせることになる。無目的に走り出し、滑って転んでズタボロになった頃、ふとした拍子に得た足がかりによって、大きな歯車を廻す側に向かう。そのカタルシスこそが、ぼくらがあの時、あの街で走り出した理由なのだ。

あの日あの時、きみはその手でその足で歯車を廻しただろうか? もしもそうでないなら、クライマックスはまだ訪れていない。もしも怪異に出会った時には、今度もまた、走り出せ!

『ゴースト・シャーク』(2013)
監督:グリフ・ファースト
脚本:ポール・A・バーケット、エリック・フォースバーグ